自己紹介
福島県田村市出身。都路という良く言えば自然豊かな、言い方を変えれば刺激ある娯楽が何もないという小さな町で育ちました。同級生は12人、幼稚園から中学校卒業まで変わらない顔ぶれで、もはや幼馴染どころではない。船引に行くためには車で30分以上かかり、船引で遊ぼうと思うと半日かけて自転車で行くか、2~3時間に1本、片道¥1,000以上という中学生のなけなしのお小遣いのほとんどを交通費に充てバスで行くかの2択しかありませんでした。
反動
そんな閉塞的な地域で育ったこともあり、高校を卒業後は北海道札幌の大学に行きました。将来について具体性はなく、家族の職業の影響から教員免許を取得するというぼんやりとした目標を持ちつつ、とにかく地元から遠く離れたところに行きたいという一心で進学しました。
北海道といえば広大な面積、雄大な自然、新鮮な魚介に野菜といった食の宝庫とパッと思いつくだけでもこれだけありますが、私が最も興味を惹かれ刺激を受けたのは日本5大都市でもある「札幌すすきの」でした。街そのものが派手に華やかで、360°見渡す限り娯楽に溢れている、というこれまでの自分自身の人生では想像もつかない世界に圧倒され没頭しました。
もともと脆弱だった進学理由は早々に息を潜め、勉学そっち退けで始めたカラオケ屋のバイトにのめり込み、働いては散財、働いては散財の生活が馴染むのに時間はかかりませんでした。カラオケ屋の常連さんをきっかけに沢山の出会いや経験を積むことと引き換えに、大学の単位を落とすという目を逸らし続けてきた現実に直面し、今思えばですが人生で最初のターニングポイントを迎えました。両親と担任を交えての話し合いの末、リタイアの了承を得ました。
地域の現状
高校進学のタイミングで東日本大震災を経験し、都路は避難区域の対象だった為船引に避難後、今日に至るまでずっと地元を離れて暮らしていました。東日本大震災をきっかけに避難先での定住を選択する人も増え、地元への帰還率は低く、人口低下へさらに拍車がかかりました。地元へ帰省するたびに近隣住民の方や隣近所の知り合いが都市部へ引っ越したなどの話を聞き、寂しさもありましたがそれよりも、このままでは自分が生まれ育った故郷が忘れ去られなかったものになってしまうという明確な危機感を覚えました。
故郷をこの先も残していくために、地域の活性化を促しいつか自分の生涯を地元で完結できるという選択肢をもてるよう、その為の土台作りをしていきたいと思っています。
故郷をこの先も残していくために、地域の活性化を促しいつか自分の生涯を地元で完結できるという選択肢をもてるよう、その為の土台作りをしていきたいと思っています。